初めまして!
今年工業高校を卒業して、平成最後の年に鹿島化学金属に就職しました、押立(おしたて)です。
今回メルマガの担当が初めてなので、最後まで読んでいただければ小躍りしながら喜びますので、どうぞ最後までよろしくお願いします!
まず初めになぜ大学に進学するのではなく、就職をしようと思ったのかについて話したいと思います。結論から言うと、ものづくりがしたい!ということです。
私は小学生の時からものを作るのが好きで、よくおばあちゃんの家で何かしら作っていました。
小学生の時は割り箸と木工用ボンドを用いてお風呂で浮かせられる海賊船などを作っていました。(今でもおばあちゃんの家に少しだけですが当時のものが残っています。)大きいものでは浴槽よりも大きいサイズの船も作りました。あれは一人でよく作れたなと今でも思います。(笑)
中学生、高校生になってからは車が好きになり模型(プラモデルなど)を休日や平日の合間などによく作っていました。今までに50台以上は作りました。(笑)作った模型の設計図は全部残していて今でもたまに見返してこんなもの作ったなと、余韻に浸る時があります。なお、社会人になった今では模型等を作ることがなくなってしまいました。また作ってみようかな?と最近思っています。(余談ですが…笑)
高校3年生になってから就活が始まり、私の担任の先生に「就職先を決めろ~~!!」と言われ、初めて求人票なるものに接しました。それは膨大な数の求人票でした。
110人いるかいないかくらいの三年生に対して、約1500社を超える求人票があり、工業高校ってこんなにたくさん求人票が来るのだな、と圧倒されました。
具体的にどんな仕事をしたいのか決めたらアドバイスするよと担任の先生に言われました。私は実習の授業で楽しくて仕事にしても続けることができると思っていたのが汎用旋盤だったので、汎用旋盤ができる会社に就職したいと思い担任の先生に伝えると、約1500社の中から3件か4件くらい私に合うであろう会社をピックアップしてくださいました。
最初に、比較的家から近くて、尚且つ働きやすい環境の会社に就職したいな、と思い一番近い会社(会社名は伏せますが、)に会社見学させていただいた際、私から社員さんに質問や気になった事等を聞いてみたりしたのですが
あまり答えてくれなかったり返答が曖昧だったりしたので違う会社に行こうと決めました。
2番目に会社見学したのが私の就職先である鹿島化学金属です。
鹿島化学金属を訪問した時に、社内の雰囲気がよくて、私には向いているなと思いました。
起床時間や会社に向かう時間も学校に通っていた時とまったく変わらず、生活のリズムも今まで通りでいけるな、この鹿島化学金属で一生懸命頑張って働きたい!と思いました。また、鹿島化学金属に就職したいと思ったもう一つの理由があります。それは、今までの実習授業では汎用旋盤で金属加工ばかりしていましたが、鹿島化学金属では金属以外の加工をしている点に惹かれたからです。
私が鹿島化学金属で働き始めてから約半年が経ちましたが、学生時代に想像していたよりも仕事は辛くてしんどかったです。どんな仕事を想像していたのかというと、実習授業の時とあまり変わらずしんどくないであろうと思っていましたが、仕事はそんな簡単で甘いものじゃないことが分かりました。(汗)
例えば、実習の授業では失敗してもほとんどのことが許されていたのですが(それでも失敗したときは勿論怒られました。)、働き始めてからは失敗してはいけないという変な緊張感が常にあります。私はその緊張感のせいで最初のうちは仕事にあまり慣れませんでした。
実習の授業では主に金属などの加工をしていたのですが、鹿島化学金属では樹脂等を加工しており違いが多くあります。例えば金属加工では一度に多く削れないのですが、樹脂等の加工は一度に多く削れるという事や、金属加工では切削油(熱を冷ます役割や削りやすさが変わる油)を使いながら加工しないといけないのですが、樹脂等での加工では切削油をほぼ使わずに加工できるなど金属と樹脂の違いと、樹脂の材料の種類の多さにびっくりしました。
私は今、汎用旋盤を担当しており、私が仕事をするときは同じところに立って仕事をするので、最初の1ヶ月2ヶ月は足腰の疲労がすごかったのですが、今ではだいぶ慣れてきました。長期休暇の後などは、今でも足腰やられます…泣 (会社の中で一番若いのに何を言う!とか突っ込まれそうですが、仕方ありません。痛いのには変わりないので笑)
汎用旋盤で加工する際、この材質ではこの刃物で、この加工方法をするなど、おぼえることがたくさんあって社会人になる、仕事を引き受けるということはこんなにも大変なのだなと思いました。
それと同時に、社会人はそれなりの責任感というものがついてくることを知りました。(入社前から死ぬほど聞かされていました。)どのタイミングで責任感が出たのかというと、会社に勤め始めて3ヶ月くらいたった時に不良を出してしまったときです。
私は4個商品を製作しないといけないところ、2個も不良を出してしまいました。数は少なかったのですが、初めて不良を出してしまった後の1週間はかなり落ち込みました。今でも失敗した時は落ち込みます。
その際弊社では、なぜ不良を出してしまったのか、いつ不良を出してしまったのか等について原因分析をし、再発防止策を考え、不良に対する処置や水平展開(この商品だけでなく他の商品についても共通した注意事項がないか等)などといったことを全てまとめ、製造部の全員に伝える不良対策報告書なるものを記入しました。
入社してから初めて不良対策報告書を自分で考えて記入したのですが、こういったことを記入することによって次は不良を出さないようにしようと思いました。そして誰でもわかるよう伝えることが大切だと初めて知りました。不良等を出してしまったときに不良報告対策書を記入しなければならないと知った私は、仕事を常日頃から徹底してやらなければ不良を出してしまうし会社全体にも迷惑がかかり、金銭も無駄になるし再製作の時間がかかることで仕事に影響がでてしまうのでこれからも今まで以上に仕事に対してもっと熱心に、真剣に取り組まなければならないなと一層思いました。
今は不良を出さないように日々頑張っています!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!冒頭でも申し上げました通り、私は初めてのメルマガの担当だったので悩みに悩みまくって考えたのですが少しでも楽しめましたでしょうか…?
次回のメルマガも読んでいただければ大変うれしく思います!